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日置市(鹿児島県)

陶芸の里で、
薩摩焼の400年を旅する。

2017/10/21

日置市にきたなら、ぜひ手にとってもらいたいのが薩摩焼。「白もん」と呼ばれ、高貴な調度品として扱われてきた「白薩摩」と、「黒もん」と呼ばれ、庶民の生活の中で愛されてきた「黒薩摩」。芸術性と素朴さのそれぞれを対照的なふたつの色に込めた薩摩焼は、「SATSUMA」の名で世界的にも広く知られるようになりました。
実は鹿児島県日置市は、そんな薩摩焼発祥の地でもあります。誕生から400年以上の歴史を誇る薩摩焼は、この地でどのように受け継がれ、世界に羽ばたくまでになったのでしょうか。薩摩焼の歴史をたどり、その魅力に迫る旅へ、いざ。

薩摩焼の里、美山。
日置市街から車で約15分。県道24号線を北西に向かってゆるやかな山道を抜けると、鹿児島県内随一の薩摩焼の生産地「美山」にたどり着きます。かつて苗代川とも呼ばれたこの地域では、慶長3年(1598)の朝鮮出兵の際に連れてこられた朝鮮の陶工たちによって窯が開かれて以降、400年以上にわたって独自の陶芸文化と技術が脈々と培われてきました。陶工たちを連れ帰った島津義弘公をはじめとする島津家のルーツでもあった日置の地で、独特の支配を受けながらその文化を醸成し、広めてきた薩摩焼。その源流である美山には、現在も10以上の窯元が点在し、先人たちの思いが作品となって日々生み出される、まさに薩摩焼の里です。

薩摩焼の魅力を探るために私たちが訪れたのは、卓越した技術と洗練された美意識で薩摩焼を牽引し続ける、沈壽官窯。「沈壽官」とは、第12代当主以降、沈家に代々受け継がれてきた当主の名です。現在の当主は、1999年に14代存命中に当主を襲名した第15代沈壽官氏。若くして薩摩焼の第一線を担うことになった15代当主の語りから、薩摩焼400年の歴史を紐解いていきます。

移動し、変容する文化
沈家の収蔵庫に残る作品の中でもっとも初期的なものは、初代当主である沈当吉より伝わった「火計手(ひばかりて)」と呼ばれる白薩摩茶碗。朝鮮から日本へ渡ってきた陶工たちが朝鮮の陶土と釉薬を使い、器を焼く火だけが日本のものを使っていたためにそう呼ばれています。火計茶碗をはじめとした初期的な作品が纏う朝鮮的な雰囲気は、根を下ろした苗代川の地で日本文化の影響を受け、徐々に日本的なものへと変容していったといいます。「文化は移動するっていうけど、本当にそうだと思う。移動した先の風土などによって変容していく。薩摩焼っていうのは、朝鮮から日本に渡り、日本で270年間の封建制度の垣根の中で育まれ、やがてそれが世界に出て行った。『From Korea, by Japan to the world』ということですね」。
金彩にみる薩摩の美意識
沈壽官窯の作品でひときわ目を引くのは、白薩摩の素地に施された艶やかで細やかな色絵や金彩の数々。それは、明治以降に日本国内からヨーロッパへと視線を移したとき、白地に透明な釉薬という装飾性の弱さを補うために磨かれていった技法だといいます。特に、当時の陶工たちが命懸けで生み出した純金を用いた金彩の技法は、他の産地とは一線を画す、非常に美しいゴールドを実現しました。しかし、薩摩焼として本当に大切なのは、絢爛な金彩の下にある素地なのだといいます。「こうやって見ると、生地は一見、繊細な絵を描くためのキャンパスのように見えるかもしれないけど、それ(絵や金彩)は素地を『魅せるため』の様々な加色なんです。薩摩国が見せたかったのは艶やかな金彩の技法ではなくて、金彩が載っている下地の土味を見せたい、ということだったんです。」
白薩摩、その素地を生かすための命懸けの金彩。求める美を決して諦めない薩摩の職人の気概に、思わず息を飲みます。
造形に物語を宿す捻り物
捻り物は、いわゆる細工物のこと。薩摩焼において実用できる器など以外の造形物を指す言葉です。
「こういうフィギュアを見るときっていうのはね、必ず目線を合わせること。そうすると、表情がよくわかる」。15代がそう教えてくれたのは、12代沈壽官氏が残した捻り物を見ていたときのこと。「目線の間に、目に見えない感情の糸を私たちは読み取ることができるわけ。これが、薩摩の捻り物の一番の特徴。ここまでくると、焼き物は見るものじゃなくて、読むものだね」。何気ない造形の随所に、細やかな物語背景と日本人としての精神性が表現されているのだそう。「こういうフィギュアをつくり得たのは、日本陶芸界でも薩摩だけ。とりわけ、この沈壽官工房だけなんです」。先人の技とともにひとつひとつの作品に込められたストーリーを語ってくれる15代は、なんだか誇らしげでもありました。
決して動くことのない焼き物でありながら、そのひとつひとつの造形に物語を宿す薩摩の技。あなたなら、どんな物語を読み取りますか?
地元を見つめ、世界を見据える
薩摩焼を代表する窯元として、作品づくりに込める思いを15代はこう語ります。
「(作品を通して何かを伝えていくにあたって)いい素材を使うということはすごく大事。いい素材というのはつまり、地元ということ。自分が鹿児島でものづくりをする以上は、鹿児島でしかつくれないものをつくらないといけない。沈壽官窯だからこそできること。沈壽官窯でしかできないことをする。それは、自分がこの窯を継いだときから思っていること」。まずは素材にこだわり、そのうえに技術、そしてたしかなメッセージをのせていくことが大切だといいます。

素材へのこだわりというところで言えば、ご自分が15代当主を襲名してから、これまで40年間誰も行なったことのない陶土づくりや釉薬づくりにも積極的に取り組んで来られたそう。
「自分の求める一番いい白、それを一番生かす透明。それをローカル、しかもアナログでつくるというのが自分たちにとって大切なこと。ローカルっていうことを妥協せずにとことん追求していった人だけがインターナショナルになれると思う」。
世界を見据えるからこそ、地元への徹底的なこだわりが薩摩焼の価値となるといいます。「薩摩焼全体のこともそうだけど、まずは自分たちがそれを守っていかなきゃいけない。おれがあきらめたら、そこで終わりだからね」。

400余年前、朝鮮から渡り苗代川に根付いた薩摩焼は、島津家あるいは薩摩藩、そして移りゆく時代とともにその文化と技術を醸成してきました。その中で培ってきた独自の美意識や日本人としての高い精神性は、人々の心を震わせる作品として表れ、日本のみならず世界で薩摩の名を確かなものにしていきます。
「未来を開く鍵は過去にある」とは、この日に15代から聞いた言葉。長い間、薩摩焼を牽引し続けてきた沈壽官窯は、常に未来への視線を外さない一方で、絶えず400年の歴史にも目を向け続けてきました。未来も未知だが、過去もまた未知。15代自身も、過去を知ることで生まれたものがたくさんあるといいます。

今回の旅は、まさに薩摩焼の400年をめぐる「時の旅」。
15代に聞く薩摩焼の歴史と、先人たちの思い、静かに私たちに語りかける代々の作品たち。他方、工房に目を向ければ先人たちの技を受け継ぎ黙々と作品に向かう職人たちの姿。そこに、400年以上かけて積み重ねられてきた薩摩焼の”いま”をたしかに感じたのでした。

文:高橋要 写真:市岡祐次郎

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