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出雲崎町(新潟県)

海と紙風船。
静かで懐かしい漁師町へ。

2017/11/14

縦に長い新潟県のほぼ中央に位置する出雲崎町。すごく有名な観光スポットがあるわけではありませんが、美しい日本海の風景と美味しい料理、「妻入り」という伝統様式の建物が並ぶ昔ながらの街並みなど、心にじんわりと染み込むような魅力にあふれた土地です。大正時代から作られている紙風船の懐かしさと優しさも、町の雰囲気にぴったり重なっているよう。海岸地区で1日を過ごせば、きっと出雲崎町が大好きになるはずです。

まずは「天領」の歴史を知るところから
最初に向かったのは、海岸のすぐ近くに建つ複合施設「道の駅越後出雲崎天領の里」。ここには、江戸時代に徳川幕府の直轄地・天領として栄えた出雲崎の歴史に触れられるミュージアムがあります。その名も、「天領出雲崎時代館」。チケットを買って入場すると、からくり人形のお代官様が丁重にお出迎えをしてくれました。

展示によると、出雲崎が幕府にとって重要な場所になったのは、日本海に浮かぶ佐渡島と江戸との中継地点であったからのようです。中世には流刑地として恐れられた佐渡島ですが、16世紀末から金銀鉱山の開発が進み、幕府の重要な財政源となりました。ここで採掘された金銀小判は、船で一度出雲崎へ運ばれ、それから江戸へ送られていたといいます。
展示室でとりわけ目を引いたのは、葵紋を染め抜いた帆を張る大きな御奉行船。佐渡島の金銀を運んだり、幕府から派遣される役人の巡見使を乗せたりしていた船です。歴史資料を元に再現したもので、全長は20m近くもあり、今にも漕ぎ手たちの活気ある掛け声が聞こえてきそうな迫力でした。

江戸時代の出雲崎はさらに、日本海航路の北前船の寄港地としても大いに賑わっていたといいます。佐渡から金銀が送られてくるだけでなく、大阪や瀬戸内、山陰地方、北海道など全国各地からさまざまな物資が集まる交易の要所でした。そのため、宿や遊郭も軒を連ねていたのだそう。当時の街並みを体感できるコーナーもあり、来館者を江戸時代へと誘うような工夫が随所に施されていました。

日本海のパノラマを前にして、海の幸に舌鼓
時代館を見学した後は、同じく「天領の里」にあるレストラン「陣や」でランチタイム。日本海のパノラマを望む、抜群のロケーションです。快晴に恵まれ、水平線上に佐渡島を望むことができました。
メニューにはもちろん、日本海で採れた海の幸がふんだんに使われています。新鮮なお刺身がたっぷりのった海鮮丼は、間違いのない美味しさ。出雲崎町の名物である「サザエの炊込みご飯」も、食欲をそそるサザエの香りがたまりません。

ラーメン好きには、「出雲崎ラーメン」がおすすめです。一見、こってりしていそうなスープですが、実際はあっさりとした口当たりでした。そのうえ、旨味はしっかりあります。麺にもずくが練りこまれているので、つるつると箸が進みました。

初めて見るのに懐かしい、妻入りの街並み
食後は街を散策しながら、次の目的地へ向かいます。海と山に挟まれた細長い土地に、「妻入り」という同じ形の家が約4kmにわたり立ち並ぶ風景は、初めて見るはずなのにどこか懐かしいような気がしました。
「妻入り」の家は間口の幅が狭く、その分奥行きがあります。三角形の切り妻屋根も特徴のひとつで、その連なりが秋の青空によく映えていました。住宅地と海との間には国道が通っていますが、昔は海から直接家に乗り入れていたそうです。

山のほうに目を転じると、小高い場所に神社や寺院が鎮座していて、歴史ある土地らしい風情を感じさせます。とくに多いのは、江戸時代の禅僧である良寛ゆかりの史跡。出雲崎町を歩いていると、いたるところで良寛の名前を目にします。歴史に詳しくない者からすれば、それほど馴染みがあるわけではないので不思議に感じる程です。
出雲崎町の職員の方に質問してみたところ、「優れた和歌や漢詩、書を遺した人物ではあるのですが、町民の間ではそれよりも優しく無欲で、子どもたちとよく遊んでいた人として愛されています。町民憲章には、『良寛のこころを心として、思いやりあふれる町をつくりましょう』という一節もあるんですよ。今は厳しい時代だからこそ、良寛さんのように純粋で人を信じる心が大切なのかもしれません」と教えてくださいました。
「良寛さん」という呼び方には愛情がこもっていて、今も近くのお寺から出雲崎を見守ってくれているかのようです。

冬場の漁師町を救った紙風船づくり
最後に訪れたのは「磯野紙風船製造所」。代表を務める磯野成子さんがにこやかに迎えてくださいました。大正8(1919)年創業の老舗で、現在、日本中の紙風船はほぼすべてここで作られているそうです。
「出雲崎は漁業の街ですが、海が荒れる冬場には船を出せないので収入も途絶えていたんですね。困っている町の人を助けたいという思いから、初代社長の磯野彌一郎が東京に産業を探しに行き、出会ったのが紙風船でした。出雲崎に工場を建ててからは、町中の奥さんたちが紙風船を作るようになったんです。昔は子どもたちも学校から帰ったら手伝っていました」。

紙風船はパラフィンという薄い紙に印刷されたパーツを切り抜き、8枚を貼り合わせて球体をつくります。それを出荷できるように折りたたんだら完成。ひとりですべての工程を行うのではなく、分業体制が敷かれています。貼り合わせを担当しているベテランの方は、1つあたり1分もかけずに完成させていて、鮮やかな手つきに見惚れてしまいました。

「今はノベルティの注文を受けることが多いです。2代目の社長が全財産を投じて紙風船を作る機械を開発したおかげで、決められた納期のなかで大量に作ることができるようになりました。ただ、複雑なデザインは今でも手作りです」。
製造所の天井からはさまざまな紙風船がモビールのように吊り下げられていて、これほど種類が豊富なのかと驚かされました。ひとつの依頼がきっかけとなって、バリエーションが広がったのだといいます。
「20年くらい前に、新潟県からトキを作ってほしいと頼まれたんです。パラフィンだと光沢があって冷たく見えてしまうので、羽毛の柔らかな雰囲気が出る紙を探しました。それから、いろいろなデザインに挑戦できるようになったんです」。
ノベルティで、動物やキャラクターなどを紙風船にしてほしいと依頼されることも多いとのこと。膨らんだ状態だけでなく、畳んでいてもそれらしく見えるように、新しいデザインを考案するときには何度も試作を繰り返すのだそうです。

磯野紙風船製造所をおいとましたら、今回の旅は終了。漁港の前を通りかかると、夕競りが始まっていました。売り物にならない魚を狙って、カモメたちがたくさん集まってきています。
帰りの車に乗り込みながら、思わず「帰りたくないなあ」とこぼしていました。小さな区域を歩き回り、静かで懐かしい雰囲気に浸っているうちに、日頃の疲れが癒されていたのかもしれません。いつのまにか、出雲崎町が大好きになっていた自分を発見したのでした。

文:牟田悠 写真:三浦千佳

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