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萩市(山口県)

新しい時代、新しい人を育んだ、
萩のまちがまとう気風に触れる。

2018/01/08

JR新山口駅からバスに揺られること約1時間、萩のほぼ真ん中にある「萩・明倫学舎」に到着しました。広大なスペースには、巨大な木造の元校舎が本館から4号館まで4棟並び、その脇には「有備館」と呼ばれる剣槍術場があります。萩そして長州藩といえば、日本近代化の大きな分岐点「明治維新」において、さまざまな分野で立ち上がった人々を輩出した土地ですが、その中でも長州藩教育の中枢を担い、高杉晋作や木戸孝允なども学んでいたのが、かつてこの場所にあった「藩校明倫館」でした。

今回の萩の歴史を知る旅では、明治維新150周年という区切りにあって、多くの傑物を生んだこの土地の背景や環境を想像しながら、これまでの200年ほどを俯瞰し、今につながる萩の豊かな土壌を眺めていきたいと思います。

まずは「明治維新150年記念事業」の一環で2017年3月にオープンした萩・明倫学舎内にある施設を訪れます。萩・明倫学舎は、旧明倫小学校の木造校舎を改築し、幕末維新期の歴史・科学技術史3,000点超の資料を展示する幕末ミュージアムほか、世界遺産ビジターセンターや観光インフォーメーションセンターなども併設する複合施設。萩出身、明倫小学校にも通っていたというボランティアガイド・末永光正さんが館内を案内してくれました。まずは、萩が抱える世界遺産について知るため、2号館東側へ向かいます。

「2015年7月にシリアル・ノミネーションによる世界文化遺産登録が決定した『明治日本の産業革命遺産』は、全国8県11市にある23資産の文脈をつなぎ見ることで、産業の視点から日本近代化の軌跡を紐解くことができます。中でも萩には『萩反射炉』『恵美須ケ鼻造船所跡』『大板山たたら製鉄遺跡』『萩城下町』『松下村塾』という、鉄鋼業・造船業に関わる5つの構成資産があるんです。当館では、それぞれを日本の近代化を推し進める長州藩の先進的な活動としても紹介しています」と末永さん。

もともと、教室として使われていた空間に、パネルやディスプレイ、膨大な量の資料を展示しており、順路に従って読み進めていくことで23ある資産の関係性と全体像が見えてきます。長州藩は長崎などを通して海外からの情報を取り込みながら、また自ら海外からの技術や思想を輸入しながら、次代を見据えるための取り組みを行ってきました。その中で藩士に限らず、さまざまな身分の人々が学び合える環境をつくってきたのが、吉田松陰による私塾「松下村塾」です。

幕府に無断で長州からイギリスへ密航留学、西洋の技術を学び、明治以降の日本を支えた5人(長州ファイブ=伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三)の証言から、当時の状況について触れるコーナーもあり、ただ史実を提供するだけではない、物語を伝えるための仕掛けが編集されている印象。また、末永さんの長州藩へのコメントも最後にいただけました。「萩そして長州の地から、大きな視点で日本や世界を考え、また未来に必要な技術を見据えていた人材がこんなにも多くいたことは特筆すべきこと。長州が何よりも“人”を重んじ、そのための教育環境を整えてきたからかもしれませんね」。

あっという間にお腹も空く時間、館内にあるレストラン「萩暦」を訪れます。萩地産の食材を使った目にも嬉しい献立の数々。とにかくいろんなものが食べられそうな「はぎ御膳」をオーダーしました。長州鶏のとり天、萩甘鯛の塩焼き、ふぐの唐揚げ、長萩(ちょうしゅう)和牛のすき焼き……などなど、9マスの桐箱に1品ずつ入った豪勢なビジュアル。どこから食べればいいか、箸が迷ったのは久しぶりでした。

萩の贅沢を味わい倒したところで、今度は外に出て、足の裏で萩の城下町を味わいます。ご案内いただくのは、NPO萩観光ガイド協会の坪井豊さん。普段から観光客を対象に「古地図で巡る『萩城城下町』」ツアーを企画しているとのこと。萩の城下町は、江戸時代の古地図が今でも使えるほど、まち割りがそのまま保存されているそうです。城下町の南から反時計回りに、江戸屋横町、円政寺、木戸孝允旧宅、御成道、菊屋横町、高杉晋作誕生地、高杉晋作立志像と巡っていきます。

「萩城の外堀の東側に広がる城下町は、中級以下の武家屋敷が多くあり、幕末の風雲児と呼ばれる高杉晋作、第26代内閣総理大臣の田中義一の誕生地もこの区画の中にあるんです」とメインストリートの御成道方面へと向かう道すがら、坪井さんの解説が入ります。「ここ、ちょっと違和感がないですか? お寺なのに鳥居がある。『金毘羅社 円政寺』は、全国でも珍しい神仏習合の形態が残る遺構です。幼年期の高杉晋作や伊藤博文が遊んだと言われる木馬が残っていたりするんですよ」。境内の奥には、大きな天狗の面があり、幼い高杉がこれを見て物怖じしないようしつけられたという逸話も。

また、萩と言えば白壁に映える「夏みかん」。萩城下町が世界遺産となった今でも、パブリックスペースの一角には夏みかんの樹が植えられており、最盛期にはたくさんの実をつけるそうです。それにしてもなぜ、夏みかんが植えられているのでしょうか。1863年、藩主が萩から山口へ移り、武士に依存していた萩のまちは、明治政府樹立後の税金取り立てもあって、苦境に立たされていました。そこで、新政府でも活躍していた小幡高政が萩へ戻り、廃墟となりつつあった広大な侍屋敷に夏みかんを植栽したのが始まり。「夏みかんを海風から守るために、壁を立てるところもあったみたいですよ」。萩を支える産業として、また季節の風物詩として、萩の風景の一部となっていったそうです。

「萩城下町は、武士だけでなく商人のまちでもあります。藩お抱えの豪商たちの商家が並んでいたため、横町にはそれぞれの名が残されているんです」と、商家の看板を差しながら説明する坪井さん。田町商店街から西へ続く御成道を萩博物館方向へ、萩焼を取り扱う彩陶庵の手前を左に折れて、白いなまこ壁が続く菊屋横町を通り抜けます。横町を抜けた先の空き地には、高杉晋作の像が。

「吉田松陰の松下村塾門下生で、長州藩における尊王攘夷派の中心人物・久坂玄瑞と高杉は双壁とされていますよね。吉田は高杉が奔放なことをしても怒らずに、久坂を褒めちぎるわけです。そうするとライバル心から高杉もやる気になる。吉田は良い意味で“人たらし”だったのでしょうね。身分関係なく一人ひとりの長所を伸ばしていくような姿勢を持っていた。また、松下村塾に限らず、人を育てる土壌が毛利輝元の時代から連綿と引き継がれているのだと思います」。

城下町の堀の外側、阿武川との間にある元遊郭「芳和荘」が今日の宿。年季の入った建物に入ると、石油ストーブの暖かさと匂いに迎えられ、奥には、吹き抜け空間にある中庭を囲む回廊が見えます。到着してすぐ、湯加減のタイミングを絶妙に調節してくださった(宿の主人の細やかさ!)お風呂に浸かりながら、この1日を振り返ります。

この地に今もあり続ける、人を育み、時代を見据えるための地盤をいろんな角度から覗き見ることができた初日。2日目は、萩焼の窯元を中心に土や水といった自然物を扱う人や場所を訪ね、もう少し大きな萩の時間を眺めていこうと思います。

お風呂上がりに建物内を探検していると、人生の先輩方(蛭子能活&アラーキー先輩!)の宿泊された痕跡が……。この上ない良い流れを感じたので、そのまま少し着込んで夜の萩へと繰り出しました。

文:永江大 写真:市岡祐次郎

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