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萩市(山口県)

ものをつくり、ものが語る
萩の10万年と150年と現在

2018/01/08

新山口の駅からバスで1時間ほど、萩の市街地に到着すると、気持ちの良い秋晴れが待っていました。さっそく萩の歴史とものづくりを知る旅へと踏み出します。まずは萩を見渡すことのできる、活火山・笠山(標高112m)へ。市街地から山頂まで車で約20分、階段を登って物見台からの風景を見てみました。

日本海側には、六島諸島と呼ばれる火山でできた玄武岩台地のペタッとした島々が6つ、独特の景観をつくっているのがわかります。向き直って市街地を見てみると、こんもりした指月山(青野火山群の1つ)。そして青野火山群によって徳佐盆地から日本海へ流れていた阿武川がせき止められ、つくられた萩三角州が見えます。

もともとある自然の地形や地質を基盤に、まちが生まれ、産業が生まれ、今は観光地として多くの人がこの地を訪れています。萩は特に、火山で形成された地形が現在の景色をつくっている。その成り立ちは、土や水、石などを素材とする“ものづくり”にも影響しているでしょう。今回の旅では、風景と人の創造力の結びつきを感じ、萩らしさをたどることができればと思います。 

さて、萩を一望した笠山山頂を離れ、さっそく萩のものづくりの現場「萩ガラス工房」へ向かいます。この工房は、今回ご案内いただく工房長・藤田洪太郎さんによって、1992年に設立されました。萩生まれの藤田さんは、この地に江戸末期の約130年前まで見事なガラス技術があったことを知り、途絶えてしまった萩ガラスの復刻に尽力。古い文献を調べていくうち、長州藩の科学者であり、萩ガラスを確立した中嶋治平へと行き当たります。「オランダやイギリスから輸入してきた医学や科学、化学といった技術を発展させ、また新しい産業をつくるためにも必要だったのがガラスの精製技術。製薬実験のためのフラスコやレトルトに加えて、江戸や大阪からガラス職人を呼び、江戸末期1860年から萩切子をつくっていたようです」と藤田さん。

工房では、当時のガラスづくりを研究しながら、現在笠山でしか採掘されていない「石英玄武岩(安山岩)」を原料に、この土地だからこそできるガラスづくりを行っています。萩ガラスの特徴は、なんといってもその絶妙な色合い。岩石中に含まれる金属類と石英成分により、淡い緑色をしています。また、1,480〜1,530度の超高温で長時間かけて溶解・脱泡させたガラス素地から成形することで、一般的な軟質ガラスの5〜10倍の強度を誇る硬質ガラスを実現(新幹線などで使われるガラスは1,600度溶解)。素材や製法を丁寧に見直し、これまでの歴史・文脈をふまえた、本質的なものづくりの態度を伺うことができました。

工房を離れ市街地へ戻る道沿い、山口県漁業協同組合萩地方卸売市場の横にある道の駅「萩しーまーと」を訪れます。市場の真横とあって、萩や山口県、北九州に至るさまざまな魚介や山の幸が集まる17店舗が出店、そこで購入した食材で料理が楽しめるレストランも3店舗あり、活気溢れる雰囲気が伝わってきます。道の駅駅長・山口泉さんにお話を伺いながら、館内をぐるっとまわりました。

「萩しーまーとでは、市場から卸した魚介のほかに、萩の食卓で親しまれている『金太郎(ヒメジ)』『平太郎(オキヒイラギ)』を材料に商品開発を進めた、『オイル・ルージュ』『オイル・ポニーフィッシュ』などの加工品も販売しています。道の駅がオープンして16年経ちますが、それぞれのお店が欠けることなく、みんなでこの場所を運営している感覚がありますね」と山口さん。

朝9時半のオープン時には萩周辺の飲食店や自宅のために食材を買いにくる人も多く、お昼が近づくにつれ観光客も増えていきます。魚介類やその加工品に限らず、萩でつくられている味噌や醤油、蜂蜜、県内の日本酒各種などなど、ここに来れば「萩の食が見える!」と言っていいほどの品揃え。お店を回りながら山口さんが解説をしてくれます。「これは、瀬つきアジといって、萩近海で育まれるプランクトンを食べるため、その瀬に居着いたマアジです。旬の時期には、油ものって美味しいですよ!」。

萩の新鮮な食材を目の前にお昼ごはんを期待しながら、萩・田町商店街(ジョイフルたまち)内にある「ラ・セイバ」へ。萩の豊かな食環境を考えながら、オーガニックの食材やコスメ商品の企画まで、幅広くされています。今回は、むつみ豚を贅沢に焼き上げた日替わり定食をオーダーしました。萩しーまーとで爆発寸前の食欲を大満足させる味わい(少し甘めの萩味噌が効いたお味噌汁も絶品!)。午後からの、萩のものづくりを知るための萩焼窯元巡りにも力が入ります。

窯元へ向かう前に、萩焼について少しおさらいします。一般的に萩焼の始まりは、豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した1597年まで遡ります。朝鮮の焼き物師を自藩へ連れ帰った大名が、産業を起こすため窯場をつくっていきました。萩、上野(福岡)、有田、平戸、苗代川といった地域がそうです。ただ、萩焼が朝鮮陶工を起源とするものかは諸説あり。萩はもともと陶土が採掘できる陶業地のため、奈良時代は日用陶器の製造が盛んで、中世に入り衰退、江戸時代に長州藩が朝鮮から連れてきた陶工・李勺光と李敬の兄弟によって再興したとされています。

萩焼の特徴は、「貫入」という陶土と釉薬の収縮の差によってできるひび割れ。使っていくうちにひびから茶しぶが染み込んで、徐々に変化していくことを「萩の七化け」というそうです。また、その陶土は、萩近辺で採掘される見島土(見島で採れる鉄分を多く含んだ赤土)、金峯山土(萩市福井下金峯で採掘される白っぽい細かな土)、大道土(防府市台道や山口市鋳銭司四辻一帯で採掘される灰白色の土)の3種を混合して素地(きじ)をつくっています。

参考文献:
著・神崎宣武『やきもののはなし』さ・え・ら書房(1997年)
著・水尾比呂志『古窯の旅 日本の焼物』芸艸堂(1975年)
『あるく・みる・きく』1971.10(no56)/1974.2(no84) 日本観光文化研究所

萩焼のおおまかな輪郭をなぞったところで、江戸時代から200年以上続く岡田窯を訪ねます。工房にて、岡田窯8代目・岡田裕さんの長男、岡田泰さんにお話を伺うことができました。岡田窯は、現在も初代から続く登り窯で焼成を行い、作品のみならず食器などの日用品も多く制作しています。「萩焼は、見島土、金峯山土、大道土の3種から、器をつくるための素地をつくります。この土の配分によって、いろんな表情が出る。素材としての土が、萩焼の土台であり、萩の風土さえも表していると思うんです。茶器が有名ではありますが、日常的に使う食器の側面もあるので、萩焼はこう使われなければいけない、こうあるべきだと今は一概に言えないんですよね」。

登り窯の隣には、展示場兼ショップがあり、コーヒー用のカップやタンブラー、小鉢、皿といった日用品が棚に並んでいます。奥には、茶器や花器、オブジェのような作品も展示されていました。土の焼き色を利用した見事な火炎模様の花器は裕さんの作品。泰さんの近作は、少し水色がかった青さの際立つ茶器。萩の風土をつくる日本海の色を取り入れるため、釉薬を工夫したのだとか。「萩焼は、ほかの陶磁器に比べて、手入れに手間がかかるものもあります。日々の暮らしの中で変化していく器というのは、よりその物の愛着を深め、器があることで生まれる豊かな時間をもたらしてくれると思うんです」。

萩のものづくりを見る旅の締めくくりは、市街地の南方、日輪山の麓にある大屋窯へ。岡田窯から車で約15分、鮮やかな黄色をまとった大きなイチョウの木が目印です。大屋窯は、陶芸家・濱中月村さんが1960年代に開窯。現在は息子の濱中史朗さんとともに作家活動を行なっています。萩焼の伝統技術を用いて、茶陶に限らず日用品から、萩では戦後つくらなくなった磁器まで手がけ、現在の萩焼、そして器のあり方を更新してゆく姿勢を持った窯元です。

敷地の入り口にあるショップと工房、登り窯もご案内いただき、工房を見渡す高台にある月村さんの住居兼ギャラリーへお邪魔しました。どの建物も、月村さんが大工に依頼し、また自ら設計・施工を行ないながら今もつくり続けている作品のような空間。母屋の前には無木無石の庭があり、庭を囲うイチョウの黄色い葉が積もっていました。

月村さんは、高校卒業とともに泉流山窯主吉賀大眉に師事し、1969年に自身で開窯。日本に限らず世界中で作品を発表してきました。現在も自身の作品づくりを通し、萩焼の伝統を時代に合わせて更新してゆくような活動を行なっています。「自分の好奇心のままに、この素材をこうしたらどうかと思案を巡らせるのが楽しい。萩と信楽の土を混合した『萩信楽』はその一例です。萩焼は伝統を重んじることで現代につながってきた器・技法ですが、今の時代に合わせてどんな器、どんな作品が考えられるか。僕自身もつくりながら考え続けているんです」と月村さん。

帰り際、萩の郷土資料家であり、月村さんの祖父でもある山本勉弥さんの著書と生原稿(!)を見させていただきました。萩における焼き物の変遷、窯元の成り立ちを綴った名著『萩の陶磁器』のほかにも、『萩の瓦』『萩農民文学』などの資料の数々。ただただつくるだけではなく、歴史的、文化的背景をおさえながら、伝統と革新を行き来する職人であり、アーティストでもある。大屋窯がつくる器の魅力はそこにあるのだと、さまざまなお話をお聞きする中で、首を縦にぶんぶんと振りながら、腑に落ちたのでした。

さて、火山によって生まれた地盤の上にある萩のまちなみを一望してから、1日通して、さまざまな自然素材(食材)と、その素材を扱う担い手たちに出会ってきました。彼らは自分たちの足元に何があり、何を基盤にものづくりをしているのか、とても意識的な人たちでした。「物」を見ればそれが伝わるということを、物が語りかける「物語」とも言いますが、萩の歴史や萩らしさを伝える物語は、まさに今日会った人たちがつくった物により、すでに語られていたようです。

文:永江大 写真:市岡祐次郎

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